雑談

苦手を克服しようとしても限界がある話【得意なことを見つけて生きたい】

今は昔「苦手を克服しよう」という言葉ありけり。(竹取物語風に)

苦手を克服しましょうってセリフ、小さい頃はよく聞いたんですけど、今では過去の記念碑的なやつだと感じてるのは私だけでしょうか?

大人が大人に苦手を克服!とか言わなくなる理由はわりと明白で、そもそも克服は難しいと知ってるからじゃないですかね。

こう言ってしまうと今まさに苦手なことに奮闘している子どもたちがガッカリしちゃうかもしれないけど、必死になって克服しようとしたって、その先に素晴らしい世界が待っているとは限りません。

もちろん、生活する上で支障がないくらいの水準に達する努力は無駄にならないし、苦手でも自分が楽しいと思えることなら好きなだけ続けるべきだと思います。

ただ、無理して自分が持っている力以上のものを引き出そうと頑張っても、どうにもならないときだってあるんです。

私は食べることが好きだから料理にわりと強い興味があります。ところが残念ながら調理の才能はゼロ、それどころか人よりはるかに下手な部類で、自分の要領の悪さを呪ったことがあるぐらいです。

そりゃあ、新婚当初はがんばりましたよ。品数を揃えよう、レパートリーをもっと増やそうって。
でもね、驚くほどに上達しないんです。

なぜ通算1000回以上つくってきた卵焼きがいまだにスッカスカなのか?
なぜ得意料理と豪語してきたハンバーグをつくるのに1時間かかるのか?

答えは簡単、料理が苦手だからです。克服は無理ゲーでした。

大学受験シーズンに「専攻」について一瞬悩んだ時期があったけど、栄養士系に進むのも捨てがたいなーなんて考えながらも得意な英語の道を選んだ過去の自分がファインプレーすぎて勲章を送りたいぐらい。

もう堂々と言っちゃいますが、我が家は冷凍食品多めです。
女子会でこの話をしたときに、「えー、旦那さんかわいそぉ〜」と言われたことがあります。
そう言いたくなる気持ちもわかるんだけどね、塩分量の調節が上手いこといかない妻が作った超絶しょっぱい食事を食べさせられ続けるよりはよっぽど幸せだと思うんですが。(なお、旦那本人も「別に作らなくてよい」と言っている。)

それに、いろいろ考えて買った食材で2時間近くかけて料理した結果それが微妙すぎて余るって、とてつもなく効率悪くないですか。

いや、それはもちろん、おまえの料理の腕が悪いのが罪だっていう意見もあるでしょう。
でも何度も言いますが、努力したけどダメだったんです。

料理に対してこんなにひねくれた態度の私でも、毎日チェックする料理研究家さんのブログがあります。料理が得意な人を羨む気持ちすら今はなく、その人がつくった美しい品々を見ることで満足する人生を選びました。

要するに、できる人がやればいいんじゃないの?って話です。
人類ってうまくできてまして、私のように料理でストレスためる人もいれば、料理が生きがいという人もいます。

食べ物を専門に扱う人たちが作った時短食品のおかげで我が家の食卓が救われている一方で、私が勉強してきた英語の知識がどこかで役立っているんじゃないかと思うわけです。

苦手なことを無理にやらせたって、そこそこの成果しか出ません。それなら時間を忘れて打ち込めるぐらい好きなことや得意なことを伸ばした方が総合的にみてメリットが大きいのではないのかなと。

それからちなみに、小さい頃に多数の習い事をやっていた(やらされていた)人間から言いますと、大人になってからも苦手なことをしていた時間って苦痛な記憶として残ります。ピアノに捧げた10年間は、消したい黒歴史とすら思うくらい辛かった…。だって私、誰がどう見ても音楽の才能なかったもん。

まとめると、たくさんのことに挑戦するのは良いことだけど、苦手(嫌)だとハッキリわかっているのなら、そこに時間と労力をつぎ込むよりも得意を伸ばす方に目を向ける方がよっぽど生産性と幸福度が上がるだろうなっていう、ゆとり世代じゃないのにゆとりっぽい意見を言ってみたところで、今日も我が家は冷凍食品を温めます。

ABOUT ME
しゅり
海外居住経験なしで英検1級、TOEIC960点を取得。 日本にいながら英語を楽しく学ぶオススメの方法を中心に発信しています。 「スキルを積み上げて人生のハードルを下げる」をモットーに、のびのびと生きるアラサーです。