アンネ・フランクがナチスの魔の手から逃れ、ひっそりと隠れ家で書き綴った『アンネの日記』。
やがてこの日記は出版され、世界中の人々の心をとらえます。
『アンネの日記』のあらすじ・内容
文章を書くことが大好きだったアンネは、13歳の誕生日に両親から日記帳をプレゼントされます。
他のどんなプレゼントよりもこの日記帳が気に入ったアンネは、日記帳に「キティ」と名付け、日々の出来事や誰にも話せない心の内を綴りはじめました。
1942.6.12
あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。
引用:アンネの日記 増補新訂版 (文春文庫)
日記をつけ始めたのは、まさに第二次世界大戦の最中。
ユダヤ人だったアンネの一家はドイツ軍の迫害を受けることに。
家族とともにオランダの隠れ家で身をひそめることになってからも、アンネは日記を書き続けます。
「自由に生きられない苦悩」「戦争終結への願い」そして、「普通の女の子としての葛藤」といった心の中にある思いを。
日記を書き始めてから2年が過ぎた頃に、何者かによる密告で一家は逮捕され、強制収容所に送られてしまいます。
その収容所で、彼女はチフスに罹患し命を落としてしまうのです。
アンネ・フランク、15歳の時のことでした。
一家で唯一生き残った父オットー・フランクは、アンネが残した日記を出版することを決めました。
生きたいと願いながらもそれが叶わなかった一人の少女の日記には、どのような言葉が綴られていたのでしょうか。
アンネが日記に残した言葉
アンネはオランダ語で日記を綴っていまいした。
この記事では、日本語訳版の中からアンネが実際に残した言葉を一部のみを抜粋しています。
※引用は全て『アンネの日記 増補新訂版 (文春文庫)』から。
隠れ家生活のはじまり
1942.7.8
いろんなことが起こって、まるで世界中がひっくりかえったみたい。でもキティー、わたしはちゃんと生きてますし、いまはそれがいちばんだいじなことだとパパも言っています。
学校が大好きで友達がたくさんいた13歳のアンネは、いつまで続くかわからない隠れ家生活のはじまりに戸惑いを隠しきれません。
それでも心の支えである日記帳の「キティ」に、隠れ家の間取りから中での人間関係や出来事まで克明に記しています。
母親への複雑な感情
1942.9.27
きょう、ママといわゆる“話し合い”をしました。でも、われながらうんざりしたことに、わたしは例によってろくに話しもしないうちから、すぐさまわっと泣きだす始末。この泣き虫癖ばかりは、自分でもどうにもなりません。パパはいつだって私にやさしくしてくれますし、ほかのだれよりも、ずっとよく理解を示してもくれます。それにしても、こういうときのママには、我慢なりません。ママとの関係で見れば、わたしは異邦人のようなものです。だって、ごく普通の問題について、わたしがどう考えているかもママにはわかっていないんですから。
アンネは日記の中で、家族(父・母・姉)に対する思いについて細かく綴っています。
中でも、母親への怒りや憎しみをおさえられない描写には、思春期の娘の複雑な気持ちがあらわれています。
理不尽すぎる現実
1942.9.28
ぜったいに外にでられないってこと、これがどれだけ息苦しいものか、とても言葉には言い表せません。でも反面、見つかって、銃殺されるというのも、やはりとても恐ろしい。こういう見通しがあまりうれしいものじゃないのはもちろんのことです。
日々の隠れ家生活のことを独特の視点で、ときに軽快に書き記しながらも、常に息苦しさや恐怖と隣り合わせだったことがこの日の記述から伝わります。
ユダヤ人として生まれたというだけなのに。13歳の少女が抱えるには重すぎる現実だったと思います。
学ぶことへの喜び
1942.10.14
ぜんぜんあなたに手紙を書いてるひまがありません。めちゃめちゃに忙しいんです。きのうはまず、フランス語の『ニヴェルネの美女』のうちの一章を訳して、新しい単語をノートに書きだしました。それから、胸くその悪い計算の問題集を一つ解き、フランス語の文法を三ページ。
もうひとつ、速記の練習でも忙しいんですけど、この点では、いっしょに始めた三人のうち、このわたしがいちばん進歩してるなんて、われながらすごいと思います。
アンネはとても賢く聡明な女の子でした。
それは文章を見れば一目瞭然ですが、彼女が日記に記した「趣味」の内容からも、“知”への探求心をうかがい知ることができます。
<アンネの趣味>
・書くこと
・系図調べ(ヨーロッパ等の国の王室の系図)
・歴史
・ギリシア・ローマの神話
極度に制限された状況の中で、アンネは持てる限りの新聞や本を総動員して調べものをしていた様子を日記帳のキティに伝えています。
心の成長が早い子どもの葛藤
1943.7.11
ここでもう一度“子どものしつけ”の問題を蒸しかえすと、はっきり言ってわたしは、これでもせいいっぱいみんなの役に立とうとし、だれにでもやさしく、親切にふるまい、できることならなんでもしようと努めているんです。そうすれば、私にたいする非難の嵐もやみ、軽い夏の霧雨程度になるはずなんですけど、正直なところ、そういう模範的な行いをしようにも、相手が我慢のならない人たちだと、それがとてもむずかしい。その行為が自分の本心からでたものでない場合には、とりわけそれが困難です。
隠れ家では、フランク一家だけでなく別の家族も一緒に生活をしていました。
一つ屋根の下で同じ人たちと顔をつきあわせる閉鎖的な空間で、アンネは“人間関係”について悩みます。
避けたいのに付き合わざるをえない相手とのかかわり方というのは、大人にとっても難しい問題です。
アンネが自分に対する批判の声に苛立ちながらも、それを客観的に受け止めているのが印象的です。
幻の、もう一つの物語
1943.8.7
何週間か前からですけど、物語を書きはじめました。完全な空想の所産ですけど、書いていてとても楽しく、わたしのペンから産みだされたものが、いまや日ごとにうずたかく積み重なってゆきます。
これは後にアンネが語る、「夢」の話につながる日記です。
悲しいことに私たちがこの❝もう一つの物語❞を読めることはありませんが、アンネがつらい隠れ家生活の中に小さな楽しみを見出していたことがわかります。
少女の問いかけ
1944.1.22
人間って、どうしていつもほんとうの気持ちを隠そうとするのか、あなたにはそれがわかりますか?どうしてわたしは人前に出ると、本心とはまるで裏腹な行動をとってしまうんでしょうね?どうして人間って、これほどまでにおたがいを信頼できないんでしょうね?それにはきっと理由があるんでしょうけど、それでも、他人にほとんど本心を打ち明けられない、もっとも身近な肉親にさえ打ち明けられないというのは、とっても寂しいことだと私は思います。
心の中にある言葉を文字として形にする能力に長けているアンネ。
身近な人にも打ち明けられない思いを吐き出す『日記』という場所が、彼女の心のよりどころになっていたに違いありません。
アンネの心に浮かんだ疑問を日記帳が受け止めて、今度はこういった疑問が本を通して読む人に投げかけられているような気がします。
恋心
1944.2.18
“あのひと”に会えればいいと、そればかりを念じています。いまでは人生に多少の目標と楽しみができましたので、すべてが以前よりも明るく感じられるようになりました。
アンネが抱く淡い恋心や性への目覚めも、この日記が語り継がれる上での重要なテーマです。
“あのひと”が誰のことなのかは、これから本を読む人がいるかもしれないのでここでは名前を明かさないでおきます。
成長を確信するとき
1944.3.25
人間って、変わるときには、あとになってから、はじめて変わったことに気がつくんですね。わたしも変わりました、それも徹底的に、根本的に、全面的に。わたしの見解、理念、批判的な見方-外面的にも、内面的にも、すべてががらりと変わりましたし、それも、いいほうへ変わったと、これは事実ですから、はっきり申し上げられます。
人はそう簡単に変われない生きものですが、アンネは日記の中で自分自身の成長について言及しています。
先の見えない辛い環境の中で、「いいほうへ」変わったと確信する記述には、彼女の未来への希望がこめられていたことが想像できます。
「死んでもなお生きつづけたい」アンネの夢とは
1944.4.5
ただ無目的に、惰性で生きたくはありません。周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。わたしの周囲にいながら、実際にはわたしを知らない人たちにたいしても。わたしの望みは死んでからもなお生きつづけること!その意味で、神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。このように自分を開花させ、文章を書き、自分のなかにあるすべてを、それによって表現できるだけの才能を!
この後アンネは、書くことへの喜びと、「いつの日かジャーナリストか作家に」という夢を綴っています。
『アンネの日記』がこうして本という形で私たちのもとに届いているということは、「死んでからもなお生きつづけたい」という彼女の望みが繋がったことを意味するでしょう。
アンネの日記、最後の日
1944.8.1
そしてなお模索しつづけるのです、わたしがこれほどまでにかくありたいと願っている、そういう人間にはどうしたらなれるのかを。きっとそうなれるはずなんです、もしも…この世に生きているのがわたしひとりであったならば。
アンネの日記はここで終わっています。
1944年8月4日、一家は逮捕され強制収容所に送られてしまいます。
アンネが心から願った「生きたい」という希望が叶うことはありませんでした。
『アンネの日記』が残したもの
世界中のたくさんの人たちが、この本によってアンネ・フランクという一人の少女の存在を知り、その背景で起きていた恐ろしく悲しい出来事が語り継がれるに至りました。
もう二度とこのような日記を書く人がいない世の中であってほしい。
アンネが残した日記は、彼女が生きることができた時間からは考えられないぐらいの影響力をもって人々の心の中に生き続けています。